誰だって感じることができる

昨年末、夫と二人で箱根彫刻の森美術館ピカソの作品を観てきました。

 

 

 

あまり絵画に興味がなく、「絵画なんてわからない」と言う夫が

 

ピカソの作品を観た感想は

 

ピカソって子どもみたいなヒトだったんだろうな~」

 

でした。

 

 

 

その数週間後、書店でこちらの本を見つけました。

 

 

ピカソはぼくの親友なんだ ピカソはぼくの親友なんだ
(2011/02)
アントニー ペンローズ

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小さな男の子と、ピカソが結んだ友情を綴った本です。

 

ピカソの笑顔が素敵で、こころがあたたかくなりました。

 

 

 

 

 

 

 

感じようと思えば、わからないと思えるものだって

 

きちんと感じとることが出来るのだということを

 

再確認させていただいたように思います。

しっぽの生えた家族

吹き抜ける風が、ずいぶんと暖かくなってきましたね。

 

 

 

昨年末に保護した子ねこ。

我が家の子として迎え入れることになりました。

 

 

保護した当初は猫風邪を患っており、目は結膜炎をおこしていました。

 猫風邪が治った矢先に、真菌症を発症し背中の毛が脱毛しました。

 

 

獣医さん通いと、部屋の除菌・消毒…と、少し慌ただしい日々が続いていました。

先月には真菌症も無事に治まり、現在は先住猫と仲良く走りまわっています(^^)

 

 

先住猫は繊細な子なので、慣れるのに時間がかかるのでは…と思っていたのですけれど

同じ空間で過ごすようになって一週間ほどでお互いの身体を舐め合ったり、

くっついて寝るようになりました。

 

しっぽの生えた家族が増え、幸せな時間が増えました。

 

 

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榛名神社にて

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先々月のこととなってしまうのですが、

数年ぶりに榛名神社へ参拝してまいりました。

 

 

榛名の気持ちのよい空気をたくさん味わってきました(^^)

 

いつ訪れても、清々しい空気で満ちていて

本当に素晴らしい場所であると感じます。

 

 

たっぷり睡眠をとっても

美味しいものを食べても

大好きな絵画や音楽や本に触れていても

 

なかなか気力が湧いてこない…

という時。

 

私の場合は、神社へ出掛けるとスッキリとすることが多いようです。

 

疲れた時に入る温泉のような感じなのでしょうか。

闇の中でも光を

御嶽山の噴火には驚きました。

亡くなられた方のご冥福と、捜索・救助活動を行う人の安全をお祈り申し上げます。

1日も早く穏やかな日が訪れますように…。


犬たちをおくる日―この命、灰になるために生まれてきたんじゃない (ノンフィクション 知られざる世界)犬たちをおくる日―この命、灰になるために生まれてきたんじゃない (ノンフィクション 知られざる世界)
(2009/07)
今西 乃子、浜田 一男 他

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近所の書店で見つけ、すぐにレジへ持っていった本です。

捨てられる命をひとつでも減らす社会を目指して、

日々、奮闘する愛媛県動物愛護センター職員たちの日常を追い

人間のエゴの深さ・醜さを浮き彫りにしながらも、命の尊さを考える

ノンフィクションの書籍です。

文字は大きめで、子どもにも十分に理解できる内容になっています。

本の中に登場する職員の一人は、命を救いたくて獣医になった方です。

命を救いたくて獣医になった方が

その逆の立場、命を奪う現場へ行かなければならなくなった

その苦悩・葛藤は、どれほどのものでしょうか…。

暗闇の中でも、自分にできることは何だろうかと模索し

命を奪われてゆく動物たちの心に最期まで寄り添い

実態を多くの人へ知ってもらい、ひとつでも多くの命を救うために

地道な啓発活動を行う職員の方々

光の方へと進んでゆくその姿に、涙が止まりませんでした。

自分の望んでいなかった環境へ置かれることになったとしても

その中で自分が何をすべきなのか見出すこと。

どんな暗闇の中でも、光の方へと進んでゆくことができること。

その姿が記されています。

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~聖フランチェスコの平和の祈り~

主よ、貧困と飢えのうちに生き死ぬ 世界中の同胞のために

働く私たちを そのことにふさわしい者にしてください

わたしをあなたの平和の道具としてお使い下さい

憎しみのあるところに愛を

争いのあるところにゆるしを

分裂のあるところに一致を

疑いのあるところに信仰を

誤りのあるところに真理を

絶望のあるところに希望を

闇に光りを

悲しみのあるところによろこびを

もたらすものとしてください

慰められるよりは慰めることを

理解されるよりは理解することを

愛されるよりは愛することを

わたしが求めますように

わたしたちは与えるから受け

ゆるすからゆるされ

自分を捨てて死に

永遠の命をいただくのですから

~~~

全ての生き物を愛し、動物たちに話しかけ

よく心が通じあったと言われる、アッシジのフランチェスコ

私はクリスチャンではありませんが、この祈りの言葉が好きです(^^)

光が強いほど、影は濃くなるように

醜いものをたくさん見るということは、

その反対の美しさをより感じることができる

ということではないかと想うのです。

泥の中で成長しても、泥に染まることなく

美しい花を咲かせる蓮のように

どんな暗闇の中でも、光の方へと進んでゆける自分であるよう

願いと祈りを込めて

朝を迎えられる喜び

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八ヶ岳・硫黄岳の山頂より~

我が家は毎朝、猫の『おはよう』の声で目覚めます(^^)

『おはよー。朝だよー。今日も楽しい1日が始まるよー♪』

朝がやってくることが、とても嬉しいらしく、毎日ご機嫌で起こしてくれます。

朝を迎えられるということが喜びであると、全身で表現している猫の姿から

毎日、朝を迎えられることが、どれほど素晴らしいことなのか

教えてもらっているように感じます。

この世界に生きている人は皆、『死』を経験してゆきます。

今日を過ごすことができても、明日という日を迎えることができないかもしれない。

たくさんの出会いの中でそのことを学んできて、理解しているつもりでいても

日々の忙しさや、苦しみにばかり心を向けていると

朝を迎えられることの喜びと感謝の気持ち、

今、ここに在る幸せを感じることを、忘れてしまう気がします。

何かを持っているから、たくさんのことを知っているから、

幸せなのではなくて

今日を過ごすことができる喜び、今ここに在る幸せを、

感じられる感性を磨くことが

幸せになるための、一番の近道ではないかと想うのです。

子どもや動物たちは、その感性が天才的ですね(^^)

つぎに渡していくものは

ペイ・フォワードという映画をご存じでしょうか?

映画を観たのは数年前なのですが、

この映画のことを思い出す出来事がありました。

「世界を良くする方法を考えてみよう」

授業での問いに、少年は

自分が受けた善行を他人に渡せば世界が変わると考えました。

一人が3人に良いことをし、

その3人がそれぞれまた3人に良いことをする。

それは、幸せの連鎖で世界を変えていくという考え。


ペイ・フォワード [DVD]ペイ・フォワード [DVD]
(2010/04/21)
ハーレイ・ジョエル・オスメントケビン・スペイシー

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わたしたちは、人と関わらずに生きていくことはできません。

誰かから影響を与えられ、

誰かへ影響を与えて、

関わり合って生きています。

善意であるならば、善意が。

悪意であるならば、悪意が。

人から人へと繋がってゆきます。

人から善意を受けたならば、その人に感謝することはもちろんですが

それを必ず他の人へと受け渡すこと。

どんなに悪意を感じても、

それを人には絶対に行わないと、断ち切ること。

損得ではなく、行動していける人間であること。

それが出来る、出来ないは

年齢など全く関係なくて

気付けた者からしか、出来ないように感じます。

(自分よりもずっと若い方々の行動に、感銘することが多々あります^^)

自らの行いが

他の存在にどのような影響を与えていくのか。

わたし自身、まだまだ未熟で

自らの至らなさを内省する日々です。

日々、自分自身に問いかけて

少しずつ、小さなことからでも

人を笑顔にしてゆく行動を起こしていこうと、想うのです。

借りぐらし

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~戸隠の杉並木~

田舎に住んでいるので

ミツバチ・蝶・バッタ・カマキリ・カエル・トカゲ・鳥・モグラ・猫…など

庭にいろいろな生き物がやってきます。

彼らが庭にやってきて

花の蜜を吸ったり、葉っぱの上で休んでいたり…

そんな姿を見ているのが好きです。

ほんのたまにですが、葉っぱをいっぱい食べられてしまったり

庭にウ☆チをされちゃうこともあったりしますが

仕方がないことかな…と思っています。

人間の決めた法律上、土地の所有者が在りますが

本当は誰のものでもないはずで

自分の土地だと思っているものは

そこに住まわせてもらっているだけにすぎないのだと思うのです。

ジブリのアニメで『借りぐらしのアリエッティ』という映画がありましたが

"借りぐらし"なのは、小人たちのことだけでなく

全ての生き物が"借りぐらし"なのだと思います。

自分の肉体も、

いろいろな生き物から命を分けていただいて

存在していて。

形あるものは全て借りもので。

そう思うと

自分の力だけで成していることなんて

何ひとつないのだなと感じます。

自分の力で生きていると思うことほど

傲慢なことはないのかもしれません。

"生かしていただいている"

"経験させていただいている"

ことを忘れず

年齢を重ねるほど、謙虚になっていく

そういう人間で在りたいなと思います。